コミケット・アピール「ごあいさつ」に見る本音とタテマエ
さて、今年も当落通知の届く季節になりましたね。
例年にも増して落選の悲鳴が大きい気がするC55ですが、まぁなんというか、相変らず準備会さんの方は運営で精いっぱい、他の事には頭が回らないらしく、クズ連中は余ったサークルチケットをどう使ってやろうかと楽しい計画を立てておられるようです。実にいい冬ですね。
皆さんはいかがお過しでしょうか?

今回は、そんな冬のお楽しみ、「コミケット・アピール」より、我らが偉大なる指導者であらせられる米沢嘉博委員長の著されました「ごあいさつ」という名作を皆さんとご一緒に読んでゆきたいと思います。

ごあいさつ

 今こそ、コミケットの参加者の意識が問われている時かもしれません。コミケットはそこに来る人全てを参加者と呼んできました。イベンター、出展者、お客さんでは決してなく、スタッフ参加者、サークル参加者(企画参加者)、一般参加者でなければならないのは、コミケットは「場」であり、回毎の内実を創り上げていくのが「人」だからです。参加することに意義があるのではなく、参加者そのものがコミケットでもあるはずだからなのです。ここまでコミケットが続いてきたのも、参加者がこの「場」を必要とし、求めていたからなのだと思います。どういう形であれ、コミケットを必要とする人がいる限り、続けていかなければならないし、別の言い方をするなら、コミケットはそうした人がいる限り続いていくはずなのです。
 しかし、今コミケットの中からその「場」をつぶそうとする人たちが出てきてしまいました。妨害や嫌がらせ、脅迫といった形でしか「場」を見つけられない、参加者としての自己を確認できないかわいそうで寂しい人たちであるにしても、そうしたものを表現や参加形態として認めるわけにはいきません。にしても、コミケットはそんな人たちに対するものまでも含めて責任をとっていかなければなりません。そして、それは、参加者全員の責任でもあるはずです。「場」に責任があるのではなく、その「場」をコミケットとして創り上げている全ての中に問題が潜んでいることを自覚してほしいのです。全ての参加者の個々が、コミケットを体言しているのならば、これをきっかけに今一度自己について考えてほしいと思います。そして、コミケットとは自分にとって何であるのか、自分はコミケットにとってなんであるのかを…。疎外ではなく、受け入れること。幻想の平等より、役割とよって立つ位置を確認すること。違いを捜すことより、同じ部分を見つけ出そうとすること。──コミケットが本当に自由であるためには、社会が、世界が抱えている問題をひとつずつでもクリアーしていかなければなりません。コミケットは単なるイベントではなく、マンガやアニメ、ゲームといった趣味を基盤とした、あり得ない世界への実験でもあるはずなのです。
 十月末現在、緊急アピールでお伝えした夏コミの事件は、解決しておらず、警察に捜査を進めてもらっている状況です。同時に、冬コミでは万全の警備体制、チェック体制をとらなければ開催は難しくなっています。参加者は、今回の変更事項、タイムテーブルを含めた当日の注意をよく読んで下さい。様々な形で当日の開催に協力をお願いすることになります。コミケットを必要と思う人全員で守らなければなりません。代替えのきく単なる売り場、買う場でしかコミケットがないのなら、このまま消えていくことになるかもしれないのです。サークルをはじめとした参加者全員に、意識を持ってもらいたいというのは、もう一度コミケットが一体感を持ったムーブメントとして動き出す、一つのきっかけでもあると考えます。なにはとまれ、冬コミが何事もなく無事に行えるよう、準備会、サークル、一般参加者が当日を創りあげていくことが必要なのです。

(米沢嘉博)



・・・実に、心にしみいる名文でございました。
それでは、この作品について解説させていただきたく存じます。

今こそ、コミケットの参加者の意識が問われている時かもしれません。

そんなのはいつも問われている事ですね。とくに公然とダミースペースとっても何も言われないサークル参加者さんとか、仕事しないでチケットと封筒と弁当貰いに来てるスタッフ参加者さんとかにですね。ぜひききたいですね。

コミケットはそこに来る人全てを参加者と呼んできました。
イベンター、出展者、お客さんでは決してなく、
スタッフ参加者、サークル参加者(企画参加者)、一般参加者でなければならないのは、
コミケットは「場」であり、回毎の内実を創り上げていくのが「人」だからです。


・・・というようなタテマエもあったのですが、今となっては「運営側の不手際も、同じ「参加者≒アマチュア」ということで大目に見てもらおう」という魂胆の為の口実でしかありません。

ここまでコミケットが続いてきたのも、
参加者がこの「場」を必要とし、求めていたからなのだと思います。


そうだと思いますね。超大規模な同人誌即売会という「」を大勢の人々が必要としていたのですね。

どういう形であれ、コミケットを必要とする人がいる限り、続けていかなければならないし、
別の言い方をするなら、コミケットはそうした人がいる限り続いていくはずなのです。


どういう形であれ」という部分に注目です。
つまりコミケットという催しさえ残っていればいいのであって、邪魔なマイナージャンル切捨てようが大手サークル以外禁止イベントにしようがいいということですね。
道理で企業ブースなんてものを考え出せたわけですな。納得。

妨害や嫌がらせ、脅迫といった形でしか「場」を見つけられない、参加者としての自己を確認できない
かわいそうで寂しい人たちであるにしても、


このような表現は、絶対的強者から絶対的弱者への攻撃の最に用いられることの多い言い回しです。
もし脅迫犯人が以前にコミケットからひどい仕打を受けた・・・「場」に参加する機会すら与えられなかった人だったらと思うと・・・

コミケットはそんな人たちに対するものまでも含めて責任をとっていかなければなりません。

またうまいこと言って。「コミケット」なんて。
どうしてはっきり「コミケット準備会に責任が来るから困る。そしたら今後会場貸してもらえなくなっちゃって大変でしょ」と言えないのでしょう。
これじゃまるで参加者全員悪者みたい。同人界の一億総懺悔か。

「場」に責任があるのではなく、その「場」をコミケットとして創り上げている
全ての中に問題が潜んでいることを自覚してほしいのです。


「場」と「準備会」のすり替えは止めてくださいね。
準備会の不明瞭さに起因する問題が一つも存在しないというのなら私はなにも文句はいいませんけども。
責任逃れは見苦しいなぁ。

コミケットとは自分にとって何であるのか、

同人誌即売会だと思いますが。

自分はコミケットにとってなんであるのか

参加者でしょ。

幻想の平等より、役割とよって立つ位置を確認すること。
違いを捜すことより、同じ部分を見つけ出そうとすること。


つまり、「大手サークルの方が客寄せになるから中小サークルよりは上位である。変った本出すより他のサークルも出してるような売れる内容の本を出せ」っていう皮肉でしょ?(笑)

コミケットは単なるイベントではなく

この物言いに準備会のでかい面が透けてみえてきますね。
コミケットよりは必死になって同人誌の未来を考えてるイベント、沢山あるんですからね。

あり得ない世界への実験

コミケットの理念とやらからいけば、コミケットの現状こそがありえないんではありませんか?
くだらない実験で何万人の同人作家のやる気を殺げば気が済むのでしょう。

代替えのきく単なる売り場、買う場でしかコミケットがないのなら、
このまま消えていくことになるかもしれないのです


コミケットの超大規模同人誌即売会という性質はたしかに代替できないでしょう。それ以外は単なる売る場買う場だと思いますけどね(笑)
それにしても先に限り続いていくはずなのですと力強さを見せておきながら、後になって消えていくことになるかもって弱気にでて同情の気を惹こうというのはあんまり感心できませんね。

もう一度コミケットが一体感を持ったムーブメントとして動き出す

無理でしょう。スタッフ分裂以降拡大だけを考えてここまでやってきたのですから、いまさら一体感なんて言われても物理的に人数が多すぎると思いますけどね。
肥大化しちゃってるもんだから身動き取れなくって苦しいんでしょ?
でも、こうなるまでコミケットを先頭きって牽引してきたのは米沢代表、あなただということはくれぐれも忘れないでくださいね

なにはとまれ、冬コミが何事もなく無事に行えるよう、
準備会、サークル、一般参加者が当日を創りあげていくことが必要なのです。


そうですね。がんばりましょうね。コミケットが自分から離れていくのが恐い米沢さん(笑)
あんたがスタッフ集会でどんだけ戯けた事言って失笑買ってるかなんてことは全部耳に入ってるんだからな。



・・・いやー、実にすばらしい名文でございましたね(笑)
切羽詰ってる状況が目に浮びますね。
それでは、サイナラ、サイナラ・・・・
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